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代々津軽藩広田組代官所の手代を務めた平山家の住居として造られたもので、既に200年以上を経た当地方最古の建造物です。
津軽地方の上層農民が生活した当時の姿を保つ極めて貴重な史料とされ、主屋と表門は重要文化財に指定されています。この表門は、津軽藩に対する功労により建てられたものです。
昭和30年9月、東京大学江上波夫教授等の発掘調査で、竪穴住居跡、外堀、内堀、土塁跡、門址や柵柱列が発見され、古代から中世にわたる遺跡であると推定されています。
この福島城跡は、約65万uの外郭と一辺約200mの内郭からなる近世以前では東北最大の城で、従来は中世十三湊を支配し、蝦夷管領としてその勢威を誇っていた安東氏(安藤氏)代々の居城であったと伝えられてきました。
1992年の国立民俗博物館の発掘調査の結果、福島城は堅固な土塁と大規模な堀に囲まれた本格的な城郭施設であることが明確となりました。
また通説に反して中世の遺物は全く出土せず11世紀の土器が出土したことなどから、福島城は奥州平泉をもさかのぼる11世紀の城であった可能性が高く、内郭は兵士が集合したり何らかの宗教的な儀式を行う場所であった可能性が高くなっています。今後の遺跡枢要部の発掘調査が期待されるところです。
標高約120mの山岳地帯に位置し、四方が断崖と谷になっている天然の地形を利用した中世の山城跡です。
東西方向の空堀2本により大きく3つの郭に区画され、土塁跡、古井戸の跡が数箇所残っています。
現在山の中腹に展望台が設けられており、十三湖、大沼、岩木山、日本海が一望できる景勝地です。
滋賀県大津市の日吉神社の末社をして建設されたもので、鳥居は山王鳥居(合掌鳥居)の一種だが、最上部に笠木のある二重鳥居は全国的にも珍しいものであり、また、柱の前後に控柱を設け貫(ぬき)をつけた両部鳥居は神仏混淆の神社に多く見られます。
昭和57年から61年にかけて東北大学、秋田大学、東北学院大学が合同で発掘調査をした結果、中世のものと思われる礎石群、石段、石溝等が発見されました。
礎石からは大型寺院風拝殿跡、渡廊跡、舞殿風拝殿跡、本社殿跡等二組の社殿列跡が確認され、中世の陶磁器片、金具片等の出土遺物と併せて、東北最大規模の宗教遺跡であることが立証されました。
また、この遺跡からは炭化物や炭化材も出土していることから、建物群が火災によって消失したと推定されます。国道沿いの大鳥居は安藤文化を偲ぶシンボル塔として建立されたもので、村内の国有林から切り出したひば9本を使っています。高さは11m、幅12mで、木造の鳥居としては厳島神社、明治神宮に次ぐ国内3番目の大きさといわれています。
太宰治の栄誉と郷土文化への功績をたたえて、彼がよく遊んだ芦野公園の登仙岬、桜と松林の木立の中にあり、ファンや観光客が絶えません。また6月19日は全国からファンが集まり生誕祭が行われます。
碑文は、太宰が常に愛誦していたヴェルレェーヌの詩「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」がスウェーデン産の黒石に刻まれて上部の浮き彫りはラフイナールを使用、金色の不死鳥が飛ぶ姿を描いています。
関連リンク:五所川原市公式ホームページ
作家太宰治の生誕100年の節目の2009年6月19日、「走れメロス」、「斜陽」など数々の作品を残した功績を讃え、建立されました。太宰が好んで愛用していた二重マント姿は、ファンが足をとめる場所のひとつとなっています。
『とりよろふ梵珠のねろにふかぶかと夏の朝けの雲はただよふ』─山蘭
『神さぶる岩木高根の雪見つつ枯野の路はひとりゆくべし』─
東籬
五所川原市出身で県歌壇の育ての親ともいうべき和田山蘭と加藤東籬の歌2首が刻まれています。
『橇の鈴戸の面に聞こゆ旅なれやつがるのくにの春のあけぼの』
『ひっそりと馬乗り入るる津軽野の五所川原町は行き小止みせり』
の2首が刻まれています。牧水は五所川原にする和田山蘭・加藤東籬両人に深い理解と友情をもっていました。この歌碑は昭和27年に3人の交流を記して立てられました。
『山は黙して語らねど時到らばかく叫ばん人のいのち短かきが故に美しと』
劇作家、シナリオライターとして有名な氏の五所川原市在住時を偲んで立てられました。
沈鐘の伝説で有名な梵鐘は正徳6年(1716年)に京都で鋳造、十三湊を経て長円寺に達しました。寛政年間の大砲鋳造や太平洋戦争の金属回収、あるいは火災等により存続の危機を迎えましたが、人々に守られ続け、今は県指定文化財となっています。
長円寺梵鐘の伝説:1677年開山とされる長円寺。その梵鐘は青銅造りで鐘の響きや彫刻などが優れていることから名鐘とされています。
当時2体作られた梵鐘は十三湖より岩木川を遡り、寺へ納められるはずでしたが、嵐により1体は長円寺へもう1体は十三湖に沈みました。長円寺の鐘はなお、十三湖の雌鐘を慕って余韻が「十三恋し、十三恋し」と響くとか。
小説「思ひ出」に登場する雲祥寺は太宰治が幼い頃、乳母のたけによくつれられていった場所。掛け軸に描かれている様々な鬼が、死後その人の一生のうちの悪事を裁き、罰を与えるといわれています。太宰に限らず、子どもたちが、このように親から「しつけ」を受ける光景は今も変わりません。
関連リンク:雲祥寺ホームページ
太宰治の生家・津島家の菩提寺であるこの寺は、子どもたちのために「日曜学校」を開き、ほんの貸し出しを行っていました。太宰は幼少の頃から本と親しみ、時が経つのも忘れるほどの読書好きであったことがうかがえます。
関連リンク:五所川原市公式ホームページ
芦野公園の小高い丘、風光明媚の景勝地にあります。
伝説は古く、数千年前天空から不思議なお燈明が降り、その光に照らされた場所から発見された地蔵尊を安置したのがはじめともいわれます。
恐山とともにイタコの霊媒が有名で地蔵尊には約2,000体の地蔵様が安置されています。
関連リンク:五所川原市公式ホームページ